今町遺跡

「愛知県埋蔵文化財センター現地説明会」より

今町遺跡の位置

今町遺跡は豊田市今町8丁目に所在します。
現在の矢作川西岸に近接する碧海台地の南東端部に立地し、標高は約28mです。
矢作川はすぐ南で足助から流れる巴川と合流し、遺跡の南には大谷川(大きな谷地形)が広がっています。
付近には加茂郡と碧海郡と額田郡の境界があり、今町遺跡は加茂郡に位置します。遺跡の北側には戦国時代に創建された浄土宗の常行院があります。

発掘調査の経緯

発掘調査は、第二東名高速道路の調整池建設に伴う事前調査として、平成18年4月から6月までの予定で実施しています。
面積は2000 ㎡で、A区からC区までの3調査区に分けて行っています。
この遺跡は、既に第二東名高速道路の橋脚建設予定(当時)の部分が1998 年度と2000 年度に発掘調査され、多くの成果が得られています。

1998年度と2000年度の発掘調査の成果

以前の調査では、大きく縄文時代、古代、中世、戦国時代から江戸時代半ば、江戸時代後半の5つの時期の遺構や遺物が発見されています。

時期区分

遺構・遺物

縄文時代

遺構:竪穴住居1棟、土杭
遺物:縄文土器、石器(石鏃・打製石斧)

古代

遺構:竪穴住居93棟など
遺物:須恵器、土師器、製塩土器など

中世

遺構:掘立柱建物跡3棟、土坑墓25基、溝など
遺物:山茶碗、土師器鍋など

戦国.江戸時代半ば

遺構:井戸7基、掘立柱建物跡、溝10条以上など
遺物:瀬戸美濃陶器、土師器皿と鍋類、硯など

江戸時代後半

遺構:井戸5基、掘立柱建物跡、溝、道路など
遺物:瀬戸美濃陶器、肥前磁器、土師器鍋類など

今回の発掘調査の成果

今回の調査では、古代、中世、戦国時代から江戸時代半ば、江戸時代後半の4つの時期の遺物が出土しましたが、主に戦国時代から江戸時代半ばと、江戸時代後半の2つの時期の遺構や遺物が良好な状態で発見されました。

  1. 戦国時代から江戸時代半ば
    1998年度と今回の調査地点では大きく屋敷が7区画確認されています。屋敷地は溝で囲まれた一辺が20m ~30mの崩れた方形で、内部には掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)跡、井戸、水溜状遺構などが存在します。
    掘立柱建物跡は柱を直接地面に埋めて立てる建物を指しており、柱穴の底には地盤沈下を防ぐための根石が据えられているものもあります。
    柱穴の数が非常に多いことから繰り返し繰り返し建物が建て替えられたことが分かります。
    井戸は素掘りの井戸と石を円筒形に組み合わせた石組井戸があります。屋敷の南端部には区画溝に連結した大きな穴があり、これは水溜状の遺構と考えられます。
    この場所は北西側が高く、南東側に矢作川があることから、雨水や湧き水を水溜状遺構に一旦溜めておき排水したものとも考えられます。
    これらの屋敷には、出土遺物からみて16世紀後半~18世紀後半に人々が住んでいたと考えられます。
    出土した遺物は瀬戸美濃窯で焼かれた茶碗類や土器の鍋などが多数出土しています。

  2. 江戸時代後半
    江戸時代後半では、戦国時代から江戸時代半ばの時期の区画そのものはあまり変化しませんが、18世紀後半くらいに部分的に溝を付け替えたり整地したりした様子が確認されました。
    19世紀の遺物が少ないことから、この頃には現在の今町の集落に移転したことが考えられます。

まとめ(今回の調査成果の意義)
これまでの調査で確認された戦国時代から江戸時代の屋敷群は、屋敷の規模がそれほど大きくないもので、支配者層の居宅とは考えにくいようです。具体的な証拠はありませんが、加茂郡の南端で川が合流する地点であることを考えると、矢作川で運ばれた物資を積み降ろしする交易の中継点として栄えた集落の可能性も考えられます。

今自治区周辺遺跡

今町遺跡関連年表

資料提供:愛知県埋蔵文化財センター 調査課 様より